八高線をくぐる道の出口から見た写真で、向かいに伸びるのが廃線跡です。
上写真で道の左側に少しだけ見える空地です。このように、ホームや駅名標、台車などが置かれてここが駅であったことを伝えています。
昭島駅、奥多摩駅の鉄道資材の中古品を用いたようで、多分ホームは新築だと思われます。奥多摩工業の旧社名は奥多摩電気鉄道で、青梅線の奥多摩側を作った会社です。
台車は何のものを用いたのでしょうか。駅名標もそれらしく作られています。
最も気になるのは信号機で、なぜか6番線と7番線です。昭島駅も奥多摩駅も、2番線までしかないはずですが...
踏切や信号機が無造作に置かれています。まあ要は雰囲気、ということですね。本当はこの駅も掘割内にあったはずですし。
しばらくは普通の道路になっています。
新奥多摩街道が見えてきました。
武蔵田中駅跡にはなぜか車止めがあります。まあ、要は雰囲気、ってことで...。
振り返ってみます。一応このモニュメントは廃線跡の上にあるようです。
モニュメント付近から見た新奥多摩街道の拝島側です。しばらくはこの道路が廃線跡です。
そして、左側に分かれていく道が見えますが、こちらが拝島多摩川へ向かう貨物支線です。どう見ても立川側から分岐していたような線形なのですが、路線廃止に先立つ武蔵田中駅の廃止時にはなぜか立川側の大神駅ではなく拝島側の南拝島駅が起点になったということです。もしかしたら旧武蔵田中駅構内まで南拝島駅構内扱いとしていたのかもしれません。
このように、拝島多摩川への線路跡も道路になっています。
知らなければ廃線跡だとは気付きません。
カーブで、しかも結構きつい勾配です。
団地の中に突入します。
しばらく行くと、こんな感じで廃線跡から道路が外れます。
しかし、一応その地点の裏側までは廃線跡っぽいものがわかります(真ん中の木があるところが廃線跡と思われる)。
上写真から先はよくわからなくなっていますが、この付近は砂利が取れたため五日市鉄道だけでなく中央線からの貨物線もあったとのことです。周辺はちょっとした工業地帯(倉庫街)になっています。
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