日本駅巡り紀行

電鉄魚津駅(電鉄魚津駅ビル取り壊し前)

[ 電鉄魚津駅 でんてつうおづえき ] 富山県魚津市
西魚津駅(電鉄富山方面)   ←富山地鉄本線→  新魚津駅(宇奈月温泉方面)
駅舎建て替え後の電鉄魚津駅の様子:電鉄魚津駅(新駅舎)

魚津城など魚津市の旧市街地に近い富山地方鉄道の電鉄魚津駅は、魚津市内連続立体交差化事業により北陸、さらに言えば本州の日本海側で初の高架駅となり、北陸新幹線開業までは現に富山県下唯一の高架駅だった。駅ビルには4階建ての「電鉄魚津駅ビル」が建てられ、駅舎もその3階の一部に入居する形をとった。建設当時は1〜3階に「電鉄魚津ステーションデパート」が、4階にバス乗務員の宿泊施設が設けられ、高さ22mは当時の魚津市内で最も高かった。しかし、国鉄→JR魚津駅前の発展、さらにはロードサイド型大型店舗の進出に押されて魚津ステーションデパートのテナントは次々と撤退、駅施設と階段以外はシャッターで閉ざされて廃墟同然となってしまった。建物は老朽化し、ユニバーサルデザインの求められる時代にエレベーターのない高架駅は大きな課題となった。

これに対して富山地方鉄道と魚津市は抜本的な対策として電鉄魚津駅ビルの隣接地にバリアフリー対応の駅舎を建設、電鉄魚津駅ビルを解体することを決め、2013年をもって廃墟のような駅舎がそびえ立つ魚津市のかつてのシンボルは過去の風景となった。

※このページは、建て替え前に書いた駅紹介ページを写真の配置を変えずにキャプション等を変えて編集したものです。


駅ビル外装のタイルはこげ茶色の落ち着いた色調だった。建物は今日的感覚で言えばデパートというよりも雑居ビルというような雰囲気。

 
駅前は駐車場やバス停になっていた。駅舎建て替え後は駅舎跡地と合わせて駅前広場として整備されている。駅周辺は古くからの繁華街で、商店などが多くある。

 駅舎1階(1枚め写真右手前)
駅舎1階にあるタクシー営業所は、最末期には駅舎以外で唯一のテナントだった。

 駅舎1階(1枚め写真左手奥の裏側)
タクシー営業所の反対側にはビルの2階へ通じる階段があった。当初はここからも駅に入れたようだが、少なくとも最末期には階段までしか入れなくなっていた。

 駅舎壁面
最末期には意味がなくなっていた「大規模小売店舗」の表示。このビルのうち高架下の部分は増築部で、「中部高架株式会社」が保有していた。この区間の高架は上下分離のような方式をとっていたのだろうか。

 駅舎玄関
駅舎の玄関の構造は「デパート」というだけに立派で、扉が二重に設置されていた。

 駅舎1階
しかし、駅舎1階は玄関の部分以外は閉鎖されていて、階段で駅に行く以外には行き場がない。踊り場のショーウィンドウも悲しい雰囲気を醸し出していた。

 2階
シャッターには「本日閉店しました」という表示。しかし、20世紀末のテナント撤退以来ついに開店することはなかった。

 3階(階段側より)
3階は駅舎がある階で、唯一立ち入ることができた。自動販売機を除けば、「昭和」といっても通じそうな雰囲気がそこにはあった。

 3階(階段側)
階段とトイレ(左側の入り口2つ)のある辺りはかなり薄暗かった。この階段では3階までしか行けなかった。閉鎖されている側の階段(シャッターの向こう側は見えないが、「非常出口」の表示灯から階段の存在が伺えた)から4階には通じていたのだろうか。

 改札・出札口
当駅は有人駅で、係員のいる時間帯は切符を窓口で販売していた。

 
 左:宇奈月温泉方面 右:電鉄富山方面
ホームは1面1線で、向こう側の2線はJR北陸線の線路。基本構成は今も変わっていないが、当時はホームが現在より薄暗く、屋根も古さが目立ち、壁面にはたくさんの広告が掲げられていた。

 駅名標
当時駅名標とセットで掲げられていた沿線案内。ホタルイカ・蜃気楼…それは「沿線案内」ではないのでは?

・駅のデータ
沿革 1936年6月5日:開業/1967年9月1日:高架化/9月15日:魚津ステーションデパート開業/1999年3月:ステーションデパートから全テナントが撤退、閉店/2013年6月5日:新駅舎供用開始、その後旧駅舎は解体
駅のある地点:本線電鉄富山起点28.9km

西魚津駅(電鉄富山方面)   ←富山地鉄本線→  新魚津駅(宇奈月温泉方面)
駅舎建て替え後の電鉄魚津駅の様子:電鉄魚津駅(新駅舎)

・ページのデータ
取材:2011年8月6日
公開:2012年3月15日
更新:2018年9月29日(文章を全面改訂)

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