野蒜駅は東日本大震災を受けて高台移転した区間にある駅の一つ。移転前から行き違い可能な有人駅で、移転後も同様に整備された。特別快速以外の全列車が停車する。
駅周辺は高台移転地区「野蒜ヶ丘」の中心として公共施設等が整備されている。また、高台移転前の野蒜駅周辺地区にも連絡通路が設置されている。
駅舎
景勝地「松島」に配慮した落ち着いた配色の建物となっている。駅設備や出入り口があるのは右手の平屋で、左手の2階建てに見える部分は跨線橋への階段。
駅周辺
駅前広場が設置されている。駅周辺は公共施設が若干ある他は住宅地。
野蒜駅連絡通路(手前)と公共施設(奥)
野蒜駅連絡通路は野蒜ヶ丘造成で使用したベルトコンベア跡を整備した地下通路で、旧野蒜駅周辺まで徒歩連絡できる。
その奥には、市民センターやイートプラザ(観光物産交流センター)等の公共施設が入る建物がある。
駅前(東側)
駅の東側で「野蒜ヶ丘」地区は終わっている。
野蒜地区への道路
駅の少し西側には、野蒜ヶ丘と野蒜(旧駅周辺)を結ぶ道路が通っている。
改札
有人駅で、Suica簡易改札機が設置されている。
ホーム 1枚目:あおば通方・2枚目:石巻方
島式ホーム1面2線の線路配置で、石巻方に駅舎への跨線橋がある。
海側
海側の視界が開けており、旧野蒜駅を見下ろせる。
山側
到着する「仙石東北ライン」
1線スルー構造となっており、行き違いがない列車と通過列車は行き先に関係なく2番線を使用する。
あおば通方
駅名標
「野蒜」とはニンニクのようなユリ科の食用植物のこと。地名の由来としては周辺で野蒜がたくさん取れたという説やアイヌ語からの転訛という説などがある。
2015/08/23(移転再開業から約3ヶ月後)に探訪した際の様子を紹介する。
「見上げた」駅舎
移転当初野蒜駅周辺の造成は完了しておらず、現在では絶対に見られないアングルから駅を見ることができた。
駅前
小さな駅前広場以外はなにもない駅前だった。
駅舎2階から見た駅前
まだ造成途上で、駅前広場の半分ほどや公共施設のある辺りはまだ「地面が存在しない」状態だった。
・駅のデータ
沿革 1928/04/10:野蒜駅として開業|1931/10/23:東北須磨に改称|1944/05/01:国有化と同時に野蒜に改称|2011/03/11:被災により営業休止|2015/05/30:現在地で営業再開
駅のある地点:JR仙石線あおば通起点33.4km
・ページのデータ
取材:2019/08/07
公開:2016/08/27
更新:2020/09/13(画像・説明を差し替え)