日本駅巡り紀行

取材:2010年10月11日
公開:2010年11月28日
更新:公開以来未更新

成宗電気軌道

 成宗電気軌道(せいそうでんききどう)は昔成田市内にあった軌道〔路面電車〕で、宗吾霊堂の近くにある宗吾駅から国鉄成田駅〔当時〕を通り、成田山新勝寺に近い成田山門駅〔後:不動尊駅〕へいたる路線でした。

 そのうち成田駅付近では開発が進みどこが廃線なのかは分かりづらくなっていますが、そのほかの区間はほぼ残っています。なかでも京成成田駅付近から不動尊駅までの区間はほぼ完全ともいえるほどに残っていて、廃線跡を転用した市道は「電車道」という名前がつけられています。

・歴史

1897年 成田鉄道〔現在の成田線我孫子支線〕が成田まで開業
     これによって成田新勝寺まで東京から日帰りでの参拝が可能となり、成田駅前から成田山新勝寺までの鉄道路線建設の計画が立てられました。しかし、門前町や人力車が寂れるとして大規模な反対運動が起こり、このときばかりは成田町内の事業に対する支援を積極的に行ってきた新勝寺も反対に回るほどでした。

1910年 成田駅前〜成田山門前間開業
     しかしその後成宗電気軌道側は参道沿いは反対運動が激しいということで参道の東側を通るルートにすることで成田駅前〜成田山門前間の路線を開業することができました。

1911年 全線開業
     翌年には成田駅前〜宗吾間を開業、全線開業を果たしました。

1916年 成田電気軌道に改称

1924年 京成電気軌道〔現:京成電鉄〕傘下に入る
     成田を目指して路線を延ばしていた京成は当鉄道を傘下に置くことで成田山門前〔いつ不動尊に改称されたか分からなかったですが、すでに改称後の可能性があります〕までの乗り入れを画策しました。しかし、表参道沿いの商店街からの反発に折れる形で結局乗り入れは行わず、現在地に京成成田駅を置きました。

1927年 成田鉄道と改称
     千葉県営鉄道の鉄道路線を譲り受けたためですが、本題から外れてしまうのでそれらに関する歴史は省略。ちなみに旧県営鉄道の路線は軌道線よりも先に廃止。

1944年 12月全線廃止
     京成電気軌道傘下に入る前には第1次世界大戦により時価が高騰していた鉄を売ろうと目論む投資家に買収されましたがそのときは結局路線を単線化することで存続に成功、その後バスに利用客を奪われしつつも、第二次世界大戦かでガソリンが統制されバスが運行できなくなったりしてまたも何とか存続し、それまでこの路線は何とか生きながらえてきました。
 しかし、戦時中なので参詣路線というのは相応しくない、成田駅前〜宗吾間は京成と平行しているなどの理由で戦時中に不要不急線とされ、1944年には全線が廃止されました。

その後、会社はバスの運行を行う千葉交通となり、廃線跡の方は大半が道路になっています。

・マップ

MAP

 青色が電車道〔廃線跡〕で、途中築堤やトンネルなどかなり痕跡が残っています。また、緑色の表参道と比べても距離は短く、成田山新勝寺を見るついでに訪れてもいいかもしれません。表参道の北端付近に新勝寺があります。

 今回訪れてきた区間は成田市によって〔電車道〕となった区間で、おおむね京成電車前駅〜成田山門前駅間に当たります。間にはトンネルが2箇所あり、その2つのトンネルの間の区間には幼稚園下駅というこの区間唯一の中間駅がありました。廃線跡は成田駅南側の宗吾〜成田駅付近にもある程度残っているらしいので、その区間も後々探訪して見たいと思います。

 

成宗電気軌道跡

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