羽村堰を見渡せる位置にある公園から廃線跡の取材は開始します。この辺りはインクラインと言ってケーブルで貨車をひいていた区間で、多摩川河川敷へのアップダウンや中央線のオーバークロスなどがありました。
※写真は基本的に注釈がなければ羽村方より
羽村取水堰(玉川上水) 山口方より
専用線は玉川上水が多摩川から分かれる羽村取水堰の付近から始まります。この写真は下の写真とほぼ同じ場所から振り返って撮った写真で、下に写っている皮は玉川上水です。本当はもっと奥まで線路は続いていたようですが、取材はしていません。
廃線跡 起点
廃線跡の取材は玉川上水沿いのこの公園から開始しました。写真奥の方に廃線跡は続いていました。
上の写真の反対側
この公園の先で、廃線跡は取水堰まで橋を使って急に下っていたようです。
公園を出たところの廃線跡は道路になっています。この部分は盛土になっていますが、法面の位置やこの先の廃線跡との整合性を考えると、道路右側の木の辺りに線路は通っていたように思われます。
すぐに廃線跡は公道になります。
道路脇
道路脇には標柱がありました。側面には東京都(年代から考えると東京市の可能性もあります)の紋章が書かれています。
廃線跡の道路が続きます。
新奥多摩街道との交差部
新奥多摩街道と交差すると、間もなく青梅線との交差部です。
青梅線との交差部
青梅線をオーバークロスしていたようですが、痕跡はありません。青梅線を超えた先は遊歩道化されています。
・ページのデータ
取材:2012年1月2日
公開:2013年1月5日
更新:公開後未更新